日本音楽集団
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 第180回定期演奏会 モニターレポート

■モニターレポート1(T.H.氏)

1. 内触覚的宇宙V 虚空
 吉村七重さんと三橋貴風さんの演奏の雰囲気がすばらしかったです。会場はピンと空気が張り詰めていて、客席の誰も動かず、誰も音を立てていませんでした。私は会場の最後列にいましたが、吉村七重さんが低音部の転調をするときなどに、椅子から立つときの着物の衣擦れの音まで聞こえてきました。ぞうりのすれる音や、椅子が「ギィ」ときしむ音までが曲の一部のような感じで、生演奏の良さを感じました。
 三橋貴風さんの演奏も同じで、舞台までの歩行で袴が「バサッ」と音を立てるのも、心地よく聞いていました。
 タイトルが難しくて、どんな意味の曲なのか解説を読んでも疑問に思っていましたが、湯浅譲二さんの「宇宙が生まれたのと音楽が生まれたのは同じ時期」という言葉を聞いて、なるほどと思いました。こういう難しい曲には、このような解説トークがあれば、聞いている側としても楽しさ倍増です。

2. 原風景
 笙の独奏を初めて聞きました。
 以前から笙の音を聞くたびに、パイプオルガンを思い出してしまいますが、今回もそのせいかオリエンタルと西洋の歴史を感じながら聞きました。
 私は、ほぼ正面の位置に座っていましたが、サイドからのスポットが真鍋さんの横顔のシルエットを、舞台の後ろの段に大きく写していて、印象的でした。
 この曲でも会場が心地よい雰囲気になっていた気がします。

3. 箏歌「蕪村五句」
 こういう歌ものもあるのだと感心しました。演奏前、初演曲は通常2〜3度の合わせのところ、今回は5、6回やったと聞いて、驚きました。演奏を聞いてあまりの複雑さになるほどでした。4番の三味線メインのところが印象に残りました。
 それぞれの楽器の音がどれもプロフェッショナルで(当然ですが・・・)、引き込まれました。

4. 天満つ…
 楽器の編成が変わっていて不思議な感じがしました。小編成でしたが楽器のエネルギーが伝わってくる、すばらしい演奏でした。

5. 組曲「風姿行雲」
 今回のコンサートの中で一番好きです。
 尺八で始まり、箏と笛、笛と笙、箏と胡弓、笛と尺八・・・・とだんだん編成を変えながら、進んでいくという編曲がおもしろい。どの楽器同士の対話も良くて、見入ってしまいました。3つめの歌のところが印象的で素敵でした。
 この曲も全体的に演奏者の緊張感が伝わってきて、引き込まれました。
ホールでの演奏ももちろん良かったのですが、野外で自然に木や建物に反響する環境で聞いてみたいと思いました。

会場について
 津田ホールには初めて行きました。
 会場前に到着したので、下の階で少し待ち、そろそろ・・・と思ってホールへ行ったのですが、エレベータを降りた瞬間、妙な空気が漂っていて緊張しました。ロビーが狭いからでしょうか。スタッフの方々がキリリとした感じで並ばれていたので、緊張しました。
 
チラシについて
 今回のチラシの裏面に出演者の方の名前が入っていたので、ファンとしてはありがたかったです。いつも定演の時には、「誰が演奏されるのかなぁ」という楽しみもどういう人選で奏者を選んでいるのかなど、気になったりもします。

感想
 曲が全て難しい感じでした。幕間で田村さんが解説してくれたり、湯浅さんが曲の説明をしてくれると、さらに満足度が増します。
 お客様の数が少なく、本当にもったいないと思います。来られている方も、邦楽の関係の方が多いのでしょうか。音楽集団の定期・・・と言うと、その時々にもよると思いますが、少し玄人向けというイメージがあります。しかし、本当にひとつひとつの音が生きて聞こえるのは、生演奏ならではですし、今回のようにこの空間や雰囲気を充分楽しめるものは充分価値があると思うのです。
 今回、田舎(岡山)から母親が出てきていて、初めて音楽集団の演奏を聞きました。母は音楽に関しては全くの素人ですが、とても楽しめたと言っています。もっとこの音色の美しさと、生の雰囲気を多くの人に知ってもらいたいです。
 今回も楽しい時間をありがとうございました。

※次回のロビー演奏、楽しみです。こういうちょっとしたイベントが嬉しいです。
 若手の皆さん、がんばってください。

定期演奏会には関係ないのですが・・・。
ホームページが9月にリニューアルされて、ますます楽しく見ています。
会員の紹介のところで、団員の方のプロフィールがまだ、全員見えるようになっていないので残念です。ファンとしては皆さんのことが知りたいと思うのですが・・・。
それから、先日、知り合いの高校教師から学校行事の「芸術鑑賞」のことで相談を受けました。日本の伝統楽器の公演もおもしろそうだということだったので、日本音楽集団のことを紹介しました。私が知る範囲で、精一杯説明したのですが、先生としては、生徒がきちんと聞いてくれるかどうか、ということが心配らしいのです。今までの学校演奏のビデオなどが参考にあれば、よくわかってもらえると思うのですが・・・。
もう少し具体的な話になれば、是非相談させていただく・・・ということでした。
私としても、中学生や高校生が邦楽に少しでも感動してくれれば嬉しいと思いますので、先生には今後もオススメするようにします。
(T.H.)


■モニターレポート2(M.K.氏)

I.全体の印象
 手元のCDの中に湯浅譲二氏の作品が1曲だけある。「クロノプラスティク〜オーケストラのための」がそれで演奏時間12分半位の作品。1972年度の尾高賞を受賞している。時を刻む音や、速さの異なるリズムが同時進行したりして、可塑的な時間を表現している。ロケットが飛翔するような電子音は宇宙的な時間をも彷彿させる。
 今回の氏の個展では、1988年以降本年までの最近の4作品が演奏された。「虚空」−遥けき彼方の宇宙へと誘うような曲。「原風景」−古き懐かしき過去に連れて行くような曲。それに日本の短歌・俳句から材をとり、人声を伴った作品2曲。いずれも邦楽器を用いたものである。
 いずれも先の「クロノプラスティク」とは印象の異る世界である。しかしこれはたまたま小生の知らなかったことで、CDの解説によれば、氏は「60年代、電子音楽、邦楽器とオーケストラ、声などを音素材を拡げた実験的な作品を発表してきた。」とある。今宵の演奏曲目は、この一貫した方向性を再確認・進化させたものであったのだ。いずれの曲も、悠揚迫らぬ落ちついたテンポで、静かに何物かを訴えかけてくる内容である。
 演奏陣もかなりの練習をくり返したものと思われ、時に静謐に、時に迫力を持って、さすが名手揃いで、一糸乱れぬ演奏で感銘深いものであった。

II.各曲毎に
1.「虚空」
 委嘱されたお二方(三橋貴風氏・吉村七重氏)の演奏で、練り上げられた見事なものでした。
 尺八の古伝三曲の一つに「虚空鈴慕」がありますが禅でいうところの「虚空」を現代的感覚で歌い上げたものでしょう。
 はじめは、二十絃箏がゆるやかな「押し手」で短い継続音を響かせて、幽冥・混沌を表しているのでしょうか。ゆっくりした「シャー」などの技法も効果的に随所に用いられています。
 箏の前奏が一段落すると、尺八が吹奏しながら客席の間を通って舞台に現れます。古典的な技法−コロコロ、ユリ、ムライキなどを効果的に生かし、一方速いパッセージなどは古典にはない音の連なりを聞かせます。遥かな遠方に誘いこまれるような、尺八独自の響きを聞かせました。
 貴風氏の尺八の音色の美しさはよく知られているところですが今宵も十分に堪能させて頂きました。
 尺八が曲の途中から登場し、舞台で演奏の後、箏より先に退場するという演出がとられました。「いずくよりか来りいずくにか去る」といった人間存在と、悠久に変ることのない虚空(宇宙・大自然)との対比を、尺八と箏が担っていたようにも受け取れました。
 いずれにしてもお二方の息の合った名演奏でした。

2.「原風景」
 笙特有の涼しげな和音による、ひそやかな出だし。ゆるやかなテンポから、やや速くなって、しかし輪郭のはっきりした折り目正しい演奏。
 時にキュキュと切るような、古典にはないような奏法も現れる。かなりの強奏でも、その音色は透明感のある美しさを湛えている。和製パイプオルガンの名演奏を褒むべきかな。
 反復される呼吸作用は大宇宙の営みの如くでもある。

3.「蕪村五句」
 6種類の邦楽器を用いて、それぞれの音色を生かした曲づくりのなされた5曲。総じてゆったりとしたテンポで蕪村の世界を描き出す。
・ 「鶯鶯」−低音部を受持つ太棹に意外性がありました。それにしても各句毎に調弦する箏はやはり「大変ですね」という感じ。
・ 「狐火」−長管尺八や笛が、不気味な狐火を表し、三味線もここでは激しいリズムを刻んで異様さを出しており、描写の秀逸な曲。
・ 「白梅」−辞世の句では、尺八の哀愁に満ちたメロディーにのって、惜別の情感のこもった歌が出色。吉村七重氏の歌は、作曲者の注文通り、伝統的な歌唱により、本来の日本語としてはっきり詞章の聞き取れるものでした。

4.「風姿行雲」
 奏者14名からなる今宵、最大規模の演奏。ことにカラフルな着物姿の女性が美しく、舞台は華やいだ雰囲気でした。
・ 「天の川」−笛、鈴、箏、鉄琴の静かな導入部。歌い手も多くなって、歌に厚みがある。尺八は長短とも用い、胡弓は哀調の音色を生かす。メロディー楽器が交代でメロディーを受持ち、歌が多音の伴奏に乗る。
・ 「春日なる」−遊士(みやびと)の宴の様子が、笙や箏によって描写される。月光を浴びて涼しげな風に吹かれながら、静かに酒?(さかずき)をくみ交す情景が浮かんでくる。歌詞は、通しで、又その断片を繰り返して強調されて歌われる。
・ 「涼しさや」−すずやかな箏の音で始まり、一貫して静かに進行する。和音も美しく、シャーも随所に用いられる。
俳句や短歌も、普通の素読みでなしに、節付きの歌で歌われる。情趣も豊かで、一層の面白みを増すものと感じます。
・ 「あをあをと」−尺八2管が水の淀みを表す。ふと「モルダウ」を思い起こさせる。箏の分散音に乗って笛・笙がメロディーを担い、打楽器群や箏のリズムにのって、胡弓が奏でる。節回しが自然で美しい。
尺八のムライキの激しい息づかい。メロディーラインも新鮮に聞こえる。鉄琴のかすかな音で終止する。

5.「天満つ」(久田典子氏作曲)
 導入部は笛が担当し、後高音に持ち替える。ミコトが空から見下している様子が彷彿される。打楽器群が打ち揃った拍を刻んで、お神楽のよう。箏が運動性のあるメロディーを奏で、笛はそれをあしらい、又激しいかけ合いともなる。笛は速いパッセージの独奏部も美しい。能「石橋」の獅子の如く、乱舞する様を描き出す。笛のあしらいの上に、箏が高音を弾き、鼓が打ち据える。それぞれの邦楽器の音色を存分に生かした使い方である。
 有能な新進作曲家が登場されることは嬉しいことです。

III演奏を聞き終えて
1. 作曲者・湯浅氏と現代音楽について
「NEW COMPOSER」vol.6 の座談会での湯浅譲二氏の発言をみると、今回の演奏会も理解しやすいようだ。
 曰く、−
・ 従来の価値観を乗り越えて行くものがなければ、芸術的創造はない。今の感覚で考えるべきだ。
・ 未聴感…、今までに聴いたことのない音楽をつくるのが理想だ。
・ 良い音楽というものは、聴衆をどこか見知らぬ世界へ連れていくものだ。
・ 声というものが、そもそもの音楽の原形である。
・ 既成概念を取り払って、白紙の状態で、どんな音楽をも聴くべきだ。そういう風に聴いて、感じるものがあればそれはいい音楽なのだ。

今回のプログラムは確かにこのような考え方に裏打ちされたものであることが実感できた。
とかく現代音楽は難解だとして、初手から避ける傾向もなしとはしない。しかし氏のような考え方が広く浸透すれば、関心をもつファンも増えることと思う。いわゆる「食わず嫌い」の人達の眼をこちらに向けさせる努力が必要かも知れない。

 長い間、何度も聞き慣れてきている古典曲(クラシック)と異り、現代音楽には聴き手側に一歩踏み込む姿勢も必要ではあろう。BGMを聴くような軽い対応では受け付けられないのである。
 作曲者が曲想を練る段階から、スケッチし、流れをつくり、アレンジし作曲を完了するまでには、多大の時間と努力が要ることでしょう。緻密な精神的所産である芸術的作品を、短時間一回聴いたからといって、作曲者の意図を100%受け取るのは難しいことかも知れない。ことに哲学的な思索を伴ったものなどは、内容的な難しさを感じます。
 短い時間内で捉え易いのは楽器の用法とか、描写的部分などでしょうか。実際にはその奥にある内容を捉えられるのが本当なのでしょうが、当方の能力不足と相まって、瞬間に消えて行って、手にとらえられないもどかしさがあるのも事実です。
 氏の言われるように「感じるものがあれば、いい音楽」といった所が、入り口としては大事なポイントかも知れません。あとは、クラシック同様、経験の積み重ねで分ってくるのかも知れません。

 それにしても、今回の演奏会のように、1回だけ演奏して、それでオシマイ、というのはいかにも勿体ない気がします。録音等でくり返し聴いて、更に理解が深まっていくものでしょうから。

2. ホール・聴衆
・ 小生の席は最後列中央寄り(T列15番)で、(客席の数が500人程の)このホール全体を見渡せる席を頂きました。
・ このホールは天井が高く、舞台は木質、客席は石や漆喰造でしょうか。音質が柔かく、適度の残響があって、温かく響いていました。(小生当ホールは初めてでした)。今回のような小編成のオケにはうってつけのホールだと思いました。
・ お客の入りは4割弱といったところでしょうか。
若い人から中高年まで、男女ともかたよりなく広い層にわたっています。演奏中は静かに傾聴していて、マナーもよろしく、さすが、現代音楽を聴きにくる聴衆は、レベルが高く、熱心なファンが多いと感じました。
2時間余にわたる見事な、感銘深い演奏会でしたから、満席に近いお客に聴いて欲しかった、というのが、偽らざる心境です。
(M.K.)

写真撮影:篠塚 明

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